こんにちは、
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
息子がまだ赤ちゃんのころのことです。
夫は出勤していて、家の中には私と息子二人きりでした。
ソファに腰かけ授乳していた時に、息子はお腹がすいていなかったのでしょう、
おっぱいをちょこっと飲んでは私の顔を見てにこっと笑うのです。
それを何度も繰り返しました。
息子は遊んでいたのですよね、私はあまりのかわいさと愛おしさと幸福感で胸がいっぱいになりました。
息子には「ママを喜ばせたい」という気持ちがあって、そして「ママと一緒に喜びたい」という気持ちがあったのだと思います。
私は、「分かち合い」という言葉を聞くと、息子が赤ちゃんだった時のこの出来事を思い出すのですが、もう1つ息子と「分かち合い」を感じた出来事があります。
それは、息子が小学4年生のころのこと、私は夫と別居していました。
当時私たち夫婦の仲はとても悪く、離婚するかどうかで揉めていました。
私も夫も夫婦げんかで忙しかったので、子供たちのことはしっかりと見てやることができていない時期でもありました。家族みんなが、それぞれ寂しさを抱えていたのです。
息子は、パパがいない生活に対しては何も言いませんでした。
それだけにとても寂しい思いをしていたと思いますし、不安な気持ちでいたと思います。
反抗期の入り口ともいえる年ごろで、持っていき場のない気持ちは、
素直に言うことを聞かない、学校の宿題をやらないという問題行動として現れました。
そんなころ、私の父が危篤状態になり、すぐに病院に向かわなければならなくなりました。
私は急いで家を出なければならないのに、動揺して「どうしたらいいのだろう」とオロオロしてしまいました。
その時、息子が支度をして「ママ早く」と玄関のドアを開けて私を急かしたのです。
普段とてもマイペースでのんびり屋な息子です。
当時は反抗的な態度も加わって、いつも以上に出掛けるのにも支度に時間をかけて困らせるのに、
その時だけは電車の乗り換えも、病室に向かうのも走って「早く早く」と私を引っ張ってくれました。
病室に着いた時に、既に父は亡くなっていました。
急いだけれど結局は間に合わなかったのです。
その事実は残念なことでしたが、病室まで急いで行こうとしてくれた息子の気持ちを、とても嬉しく感じました。
そして素直に、「ありがとうね。ママひとりでどうしたらいいかわからなくなっちゃって、あなたが急いでくれて助かったよ。」と息子に言うことができました。
反抗して問題行動ばかりする息子のSOSに気づくことなく、叱ってばかりだった私は、本当にバカでした。
パパと離れて暮らす息子の心の中の、寂しさや怖さや不安は、私が危篤の父に会いに行く時に感じたものと同じだったのかもしれません。
息子が私を急がせたいという行動は、私の怖さや不安な気持ちを感じ取ってくれたのだと思うのです。
同じようにオロオロするのではなく、こういうやり方も分かち合いなのですね。
あの時、息子のあの行動があったから私の怖さや不安感は半減し、息子のやさしい思いやりの心に触れることができたのです。
赤ちゃんは自分の望みを叶えてもらうために一生懸命泣きます。
そしてママや大人たちはその望みを叶えるためにお世話をします。赤ちゃんは、数か月そうやって与えてもらうことで、自分も与えたいという新たな望みが生まれます。
私は、それが「分かち合いたい」という人間の自然な共感的な感情の誕生なのではないかと思います。
人間の「分かち合いたい」のスタートが、「一緒に喜びたい」という愛なのだと思うとすごく明るい気分になりますね。
喜びや楽しさという明るい感情をわかちあうのは、簡単なことかもしれません。
悲しさや寂しさなど痛みをわかちあう方が、相手に負担にならないだろうかと申し訳なさを感じやすく、相手に受け入れてもらえなかったらとい怖ささも感じてしまいやすいので難しいと感じることもあるかもしれません。
しかし悲しさや寂しさほど一人で抱えると苦しく辛いものですから、誰かに打ち明けてみて欲しいなと思います。
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あなたが、分かち合う喜びを感じられますように。
あなたが、笑い合う喜びを感じられますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

