こんにちは
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
最近の私は、どうも母を愛していた自分を受け入れなければならないようです。
ひとりになると、ふとした場面で、心がザワザワします。
スーパーで買い物をしている時、なぜか心が揺れるんです。
お風呂に使っている時、料理をしている時、洗濯物を干したりたたんでいる時、母を思うと涙がこぼれます。
こんなにも母のことが出てきてしまうと、母との別れが近いのかと不安にもなったりします。
私が、母への思いに素直になる時期がやってきたみたいです。
だから、母のことを数回に分けて書いてみようと思います。
母の認知症と、父の闘病のはじまり
私の母は、アルツハイマー型認知症です。
昔のことは覚えているけれど、つい最近のことは覚えていられない、治すことのない病気です。
そして、進行していくうちに、昔のことさえわからなくなってしまう病気です。
今でこそ、妹と一緒に認知症の母の言動を笑い飛ばし、やさしくできますが、
はじめからそうだったわけではありません。
母が認知症になったのは、父の病気がきっかけだっただろうと主治医に言われました。
父は、脳腫瘍で亡くなりました。
右足が思うように動かない、右手に力が入らない、
そんなちょっとした不調を心配して検査したら、完治しない脳腫瘍が見つかったのです。
今思えば、母に認知症の症状が出始めたのは、まだ父の病気が見つかって間もないころでした。
財布や鍵など大事なものを失くすようになりました。
大きな病院の中で、
いくつかの検査室を回るのにも順番がわからなくなったり、道に迷ったりすることがありました。
妹だけが、「お母さん、認知症になったかも」と言ったけれど、
母はまだ認知症になるには若かったので、
当時は、急な父の病気のことで、精神的に不安定になっているのだと思っていました。
それに、私も妹も、父のことで頭がいっぱいで、母のことまで真剣に見る余裕がありませんでした。
家族のために尽くしてきた母の変容
もともと母は、家族のためによく世話を焼く人でした。
特に、家族の体調が悪いという変化にはすぐに気づいたし、
そういう事にはどう対応するかもよく心得ていました。
どうしていいのかわからなかったとしても、
誰かに相談したりして、何かしら手を尽くしてくれる人でした。
でも、父の病気に対しては、病気のことを理解していないように感じられました。
主治医や私や妹にどういう病気なのか、詳しく聞こうともしませんでした。
治療方法や薬の量 、終末期の過ごし方や延命治療についてなど、何かしらの選択を迫られても、
母はまともに考えず、父本人や、私や妹に任せるようになりました。
いつだって笑ってごまかすように、「大丈夫なんでしょう」と言いました。
それは、父を励ますためだったのか、病気を理解したくてもできなかったのかは、今でもわかりません。
だけど、もともとの母だったら、
自分がよく理解するまで病気について主治医に質問したはずだし、率先して父の世話をしたはずでした。
だから私にも妹にも、母が、熱心に父の病気に寄り添っているようには感じられませんでした。
「しっかりして」という言葉の裏にある葛藤
そんな風に、しっかりできない母のために、父のことで頭がいっぱいになっている私や妹のために、
私と妹の夫たちも、父の病状や治療法を聞くために随分と病院に足を運んでくれました。
そんな夫たちの行動も心配りも、本当にありがたく、支えになりました。
だけど、優しすぎる夫たちに私と妹は、どこか申し訳なさも感じていました。
それ故に、何度も何度も「お母さん、しっかりしてよ」と、母にきつく言いました。
*
続きはまた今度。
あなたが、自分に素直になれますように。
あなたが、怖れより愛を選べますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

