こんにちは
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
最近の私は、どうも母を愛していた自分を受け入れなければならないようです。
ひとりになると、ふとした場面で、心がザワザワします。
スーパーで買い物をしている時、なぜか心が揺れるんです。
お風呂に使っている時、料理をしている時、洗濯物を干したりたたんでいる時、母を思うと涙がこぼれます。
こんなにも母のことが出てきてしまうと、母との別れが近いのかと不安にもなったりします。
私が、母への思いに素直になる時期がやってきたみたいです。
だから、母のこと4を回に分けて書いてみようと思います。
今回は、その2回目です。
父の容体急変と、気づけなかった母
父の病気は、放射線治療を行い、一旦は症状を抑えることができましたが、
再発すると、もう治療法はありませんでした。
父は病気が再発してからは、訪問看護を受けながら、母と二人で暮らす自宅で過ごしていました。
そして、ある日熱を出し、意識を失い救急車で運ばれました。
いつの間にか、食べものを飲み込む機能が落ち、肺に食べ物が入って肺炎になったのです。
父はそれをきっかけに、亡くなるまで家に戻ることはできませんでした。
本当なら、母がもっとしっかりしていれば、父の様子の変化にすぐに気づけたと思います。
看護師にもすぐに相談したはずだし、
毎日のように訪問してくる看護師が、父の変化に気づかなかったことにも腹を立てたはずです。
しかし母は、父の変化に気づきませんでした。
父をこんな状態にしてと主治医に強く言われることになったけれど、
入院しても、どこがどう悪くて入院することになったか、母は理解できませんでした。
母を責め、病院へ連れ出そうとした私たち
そんな母に、
「なぜ気づかなかったの?」
「もっと早く対応できたのに」
「お母さんらしくない」
「お父さんがこのまま死んだら・・・・」と、私も妹も言いました。
そして私たちは、
母が一時的に精神的ショックを受けているだけとしても、病院で診てもらおうと説得しました。
でも母は、自分が病院に行くことをとても嫌がりました。
それでも、私と妹は母の思いを無視して、
母には病院に行くとは言わずに、病院の前まで連れて行ったことがありました。
病院に連れてこられたとわかった母は、怒り狂い、涙を流してその場から走って逃げだしてしまいました。
悲しみと怒りが入り混じった母の表情を見て、私も妹も、もう無理に病院に連れて行くことを諦めました。
無理やり病院に連れて行ったことを、母を傷つけたことを強く後悔しました。
無力感と、母を失ったと感じた日々
実は私も妹も、父がもう目を覚まさない事態になったことに、少なからず責任を感じていました。
認知症になった母に、父の世話を全部押し付けて、
何もかも母のせいだと責めて、父のそばにいてやれない自分たちを、
認知症になって混乱している母に寄り添おうとしない自分たちを、
棚に上げ、言い訳ばかりして、とてもとても嫌な気持ちになったのです。
あの当時、母に対して、
「しっかりしてよ」
「お財布どこにしまったの」
「お父さんの保険証はどこにあるの?」と、何度怒ったかわかりません。
「お母さん、おかしいよ」
「お母さん、病院で診てもらおうよ」
「お薬で少し楽になるかもしれないよ」
「お母さんがわからなくなっちゃうと、私たちも困るんだよ」と、何度も病院をすすめました。
あの頃が、私も妹も、母と一番やり合った時期だと思います。
私は自分がどんな顔をしていたかわからないけど、
母に強く言う妹の目は今にも泣き出しそうで、怒っているけど悲しそうだったことをよく覚えています。
私は、そんな妹も母も助けられない自分に、どうしようもない無力感を感じたことを今でもよく覚えています。
それから数か月して父が亡くなった時も、母は悲しそうにすることはほとんどありませんでした。
父が死んだことも、よくわかっていなかったように思います。
もうその頃には、私も妹も、母は完全に認知症なんだと思っていました。
母はそこにいるけれど、
昔のように、しっかりした母はいないのだと、受け入れるようになっていました。
私も妹も、父の遺影を眺めながら、
「お父さんも、お母さんも、もういないんだね」と、それぞれの心に確認するように繰り返していました。
*
続きはまた今度。
あなたが、自分に素直になれますように。
あなたが、怖れより愛を選べますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

