こんにちは
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
頑張ってきた人ほど自分を責めている
私は、カウンセリングをしていて、悔しく思うことがよくあります。
なぜかというと、頑張ってきた人たちが傷ついて苦しんでいたりするからです。
一人ひとり問題は違いますが、とにかく皆さん優しくて、
「我慢や犠牲はよくないんですよね」「自己肯定感が低いから」などと言われて、
自分を悪者みたいに自分自身を責めていらっしゃるんですね。
そういう言葉を聞くたびに、
なんて優しいんだろう、
なぜこんなに頑張った人が苦しまなければならいの、そんなの嫌だと思ってしまいます。
そんな時、それはただあなたが優しいということだとお伝えしたりします。
誰よりも優しいからそうしたんですよね、と言います。
本当にそうだと思っています。
自分だけ悪者だと思える優しさ、相手を責めたくないと思う優しさに私は感動します。
カウンセリングを受けて、自分を変えようと思うのも、誰かへの愛からの行動に違いないと思うのです。
そもそもそこまで頑張れたのは、
相手を喜ばせたいとか助けたいという愛があったから、そこが一番大事で大切にするところだと思います。
だいたいの人が、「優しいのはわかっているけど・・・」と言われます。
優しさなんて、優しくったってという感じです。
相手を思ってしたことでも、その優しさがぞんざいに扱われたと思えたら、腹が立つし悲しいですよね。
そんな優しさを持っていなかったら、自分が苦しむことなんてなかったのにと思えて当然かもしれません。
自分の持っている優しさが憎いものになるのかもしれません。優しさに価値なんてないと判断するかもしれません。
そうすると心の中は、怒りでいっぱいになってしまって仕方ないのかもしれません。
我慢や犠牲の奥にある愛を見つける
心理学やカウンセリングの場では、
我慢や犠牲やよくないもの、やめましょうと言ったりしますし、
いい人をやめましょうという言葉もよく聞くのも事実だと思います。
でも私は、そういうことを考えたり実行する前に、
まず自分の優しさや愛の部分を、
どうしてそうしたのかというところをしっかりと思い返してみる必要があるし、そっちの方が重要だと思っています。
自分自身で、その優しさや愛を、絶対に否定して欲しくないし、
否定して変わろうとしてもなかなかうまくいかないと思っています。
自分より相手を大切に思うから我慢したのでしょうし、犠牲したのではないでしょうか。
怒られたり、嫌わてしまう怖さもあったかもしれませんけれど、
そこには相手を怒らせたくない、
周りの人たちに不快な思いをさせたくないという優しさが、きっとあったはずなんですよね。
だとしたらそれはもう、愛を選択したということではないでしょうか。
もちろん、自分を大切にできていないという見方もできますが、
そんな健気さは愛する、愛されるに値するとやっぱり私は思うのです。
愛を選択したと思えることが、自己肯定感、自己価値をあげていくということになるのだと思うのです。
自分の中の愛を見失わないために
自分ひとりで、自分の中の愛を見つけるのは簡単ではないかもしれません。
そんな時は、是非誰かに相談してみて欲しいと思います。
身近な人に打ち明けることができない場合は、カウンセリングを利用されるのもおすすめです。
あなたが苦しみの中にいるとしたら、愛を見失っているからかもしれません。
*
あなたが、もう一度愛ある世界で生きられますように。
あなたの愛が誰かに届きますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

