こんにちは
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
息子と信号待ちをしていたとき、「おーい」と息子を呼ぶ声が聞こえてきました。
私も、息子と一緒に振り返ると、幼稚園バスの運転席から「おっきくなったなー」「ちょっと大きくなりすぎじゃねぇか」と冗談交じりに、大きな声が聞こえてきました。
もう10年ほど前に、息子が通っていた幼稚園バスで、当時は、体育を担当していた先生が、今ではバスの運転もしていました。
息子は、ムフムフと笑顔を見せて返事をしているようでした。
運転席の先生は、手を振ってくれていました。
私は、先生に会釈して、息子と一緒にバスを見送りました。
幼稚園に通っていたのは、もう10年近くも前なのに、まだ息子の名前を憶えていてくれるんだな、幼稚園の時と変わらずに声を掛けてくれるんだなと単純に嬉しくなりました。
でも、息子はもう中学3年生です。
背も175センチはあるし、もう坊主頭ではありません。マスクも眼鏡もしていて、全然当時の面影はないんです。
それでも、息子だと、間違いないと確信していて名指しで声を掛けるということは、先生は息子をわかっていたわけです。
自宅から幼稚園までは徒歩20分足らずで、幼稚園バスは毎日のように近所を走っています。
卒園してからも、バスから見かける息子をずっと見ていてくれたんだろうな、成長を見守ってくれていたんだろうなと思うと、心があたたかくなって、もっと嬉しい気持ちになりました。
それに、思春期の息子に、幼稚園生の息子に声を掛けていたのと全く変わらない調子で、大声で呼びかける先生は、中学生になっても息子の中にある、幼稚園の時から変わらずにある何かいいもの、息子らしさを、見つめて信じ続けてくれているのだろうと思いました。
先生は、そこまで意識などしていないかもしれませんが、人を愛するというのはこういうことだと気づかされた気がしました。
幼稚園生の息子は、少々面白い子でした。
先生の後を追ったり、懐っこく甘えるタイプではなくて、先生に抱っこされることも嫌がるようなところがあって、バスから声を掛けてくれた先生にちょっかいを出されても、自分のやりたいことの方が大事で、自分の遊びたいことに熱中して、先生をあしらうような子でした。
先生や大人と遊ぶより、友だちや子ども同士で遊ぶ方が好きな子でした。
だから私は、先生がまだ、そんな息子を覚えていてくれるなんて、もしも覚えていても声を掛けるなんてと、とても驚きました。
私は娘に、息子が幼稚園の先生に声を掛けられた話をしました。
娘は、少しも驚かずに、「私も声掛けられるよ。いつもお兄ちゃんのことも元気かー?って言うんだよ」と言いました。
先生は、親も知らないところで、今でも子どもたちを、あの時と変わらずに気に掛け、声を掛けてくれていました。幼稚園の時からずっと、「いつも見ているよ」「いつも見守っているよ」と子どもたちを愛してくれていました。
その先生の愛は、ムフムフと笑顔になる息子の心に、きっとしっかりと届いているだろうなと思いました。
我が子が、近所の子どもたちが、こんな風にあたたかく成長を見守ってもらえること、愛してもらえること、それを当たり前だと思えること、そんな場所で生きていられること、そのことに気づかされて、とてもとても幸せを感じました。
見守る愛、祈る愛
愛し方には色々なカタチがあるものです。
直接何かをしなくても、待つ、見守る、祈るというような、思いだけを注ぐ愛し方というものもあるのです。
もう亡くなってしまっている誰か、ご先祖様や神様も、そんな愛し方をしてくれる存在です。
自分にそんな愛が注がれていると信じることができると、心はあたたかく、軽やかになるものです。
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あなたが、あなたらしさを愛せますように。
あなたが、愛されていることを信じられますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

