こんにちは
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
あるおばあさんに会ってきました。
100歳近いおばあさんは、食べたり飲んだりが難しくなってきました。
私が会いに行った前日には、食べることはできず、飲み物をほんの少しだけしか飲めなくて、話そうとしても声が出なくなっていました。
私が顔を出した時、おばあさんは目を閉じていました。
眠っているように見えましたが、私がおばあさんの顔を黙って覗き込むと、ほんの少しだけ目を開けました。
もうぱっちりと目を開ける力はなさそうでした。
私は、おばあさんの手をそっと握って、「来たよ、わかる?」と声を掛けると、「あなたを待っていたのよ、美人さん」と大きくはないけれど、ちゃんと聞こえる声で言ってくれました。
私は、「美人だなんて、嬉しいわぁ、ありがとう」と笑って、「でも、おばあさんには敵わないよ」と言うと、「あら、勝とうと思っていたの?」と冗談を言って、私を笑わせてくれました。
おばあさんは、何度も「ありがとね」と言ってくれました。
私は、涙がこみ上げてきました。
おばあさんが、以前のように元気でないことが悲しかったからではありません。
おばあさんの心の優しさ、美しさ、愛に触れて、私の心はあたたかくなって、自然と涙がこぼれたのでした。
おばあさんが、本当に私を誰だか理解していたかもわかりませんし、残っている力で目を開けたり、話すことは肉体的に負担だったかもしれません。
そんなおばあさんが、私を笑わせてくれたことは、どれほど大きな愛からの行動だったでしょう。
私は、おばあさんのあたたかい手をしばらく握って、おばあさんの優しさを心いっぱいに感じてきました。
おばあさんが目を閉じて安心している様子に、「また来るね」と声を掛けながら、おばあさんのように大きな愛の人になりたいと強く思いました。
私たちは、つい自分を小さく評価してしまいがちですよね。
うまくいかない人生を嘆きながら、誰かを責めながらも、全部自分のせいだと思ってしまったり、しあわせそうな人のようになりたいなと思いながらも、こんな自分には無理だ思ってしまったり。
そこまで苦しくはなくても、自分は最高だなんてなかかな思えないものだと思います。
でも私たちは、誰かから自分に向けられたやさしさに触れると、そんな苦しみから解放されたりします。
わかってくれたと心が感じられると、それだけで満たされたりするものなんですよね。
そして、そんな風に愛されたと感じると、自動的に私もそんな風に誰かに与えたいと純粋に思えたりするものです。
そんな純粋な気持ちは、一瞬だけかもしれないし、持続させるのはむずかしいかもしれませんけれど、ちゃんと誰の心にも芽生えるし、あると私は信じています。
その純粋な気持ちを見失ってしまったら、誰かにやさしくしてもらう、わかってもらえばいいのですよね。
身近にそういう人がいない時、カウンセラーを頼ってみてくださいね。
愛とは
愛とは、やさしくて、あたたかくて、いい気分で、心地が良くて、安心で、安全で、平和で、楽しくて、嬉しくて・・・そんなポジティブな感情の源です。
そんな、やさしさ、あたたかさ、いい気分、心地良さ、安らぎ、穏やかさ、楽しさ、嬉しさなどの感情は、誰かに愛されて知った感情なのです。
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あなたが、大きな愛に出会えますように。
あなたが、自分を好きになれますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

