こんにちは
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
私の父について、2回にわけてブログでお伝えしています。
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私も妹も、家族全員が、突然の余命宣告に「そんなわけない」と大騒ぎをしました。
病気は先生のせいではないのに、「余命3カ月」と本人に言った先生に大して、腹が立って仕方ありませんでした。
別の先生なら、名医なら父の病気を治せるかもしれないと、必死で腕のいい先生を探しました。
少しも想像していなかった展開に、父の死を信じられず、怒り、何かにすがりつこうとしたのは家族で、はじめ父はそんな家族の様子を抵抗せずに見ていました。
その頃の父は、まだ死を恐れている様子は感じられず、家族の方が動揺していました。
家族会議の末、結局父は、脳腫瘍の名医として有名な先生に診てもらうことを決め、放射線治療と薬物療法することになりました。
放射線治療で数か月入院をして、右麻痺は亡くなってしまったかのように症状はよくなりました。
父自身も、先生や看護師さんたちに治療の効果があったこと、よくなったことを喜ばれると嬉しそうでした。
しかし自宅に戻ると、父の精神状態は不安定になりました。
食事をとらなかったり、イライラして不機嫌になることが増えていきました。
「お父さんは病気なんだから」と威張るような時もあれば、「もうお前たち来なくていいから」と娘や孫たちを遠ざけるようなことを言うこともあったり、理由もなく攻撃的になりました。
そんな父の姿を見ることが苦しくなって、私たち家族も、これ以上どうしてあげたらいいのと、これだけやっているのにと、腹を立てることもあって、父と家族でケンカになってしまうこともありました。
でも、それから次第に、時間の経過とともに、右手足の動きが更によくなっていくとともに、父の精神状態は元のように、明るく元気に、穏やかさを取り戻していきました。
そして、「俺が死んだら、お前も死ぬんだから、仲良くやろう」と腫瘍に話し掛けるようになっていて、家族みんなに腫瘍に話し掛けていることを教えてくれました。
それから数年して、再発した父は、もう心乱れることはありませんでした。
右半身まひが進行していくことで、介護が必要となりましたが、介護してもらう新たな生活を楽しんですらいました。
自分専用の車いすでの外出では、「押して押して」「あっちだ、こっちだ」と指示を出して外出も楽しんでいましたし、家中につけられた手すりの使い勝手に満足していましたし、電動ベッドという便利グッズにも喜んでいました。
何より、母や娘たちが、体の不自由になった自分のトイレやお風呂の介護を嫌がらずにしてくれること、そんな生活を送れていることを嬉しそうに涙を流しながら笑って、「しのぶ、お父さん幸せだ」「こんな幸せないよな」「みんなに感謝している」と何度も言っていました。
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家族に恵まれずに育った父にとって「自分の家族」は、たった1つ本当に欲しいものでした。
最近私は、父が強くたくましかったのは、訳があったのかなと思ったりしています。
死を受け入れる苦しさと同時に、自分のことが1人でできなくなっていく、何の役にも立たない、弱くなってしまう自分が、家族に受け入れてもらえなかったらという怖さと戦ったかもしれません。
だとしたら、その怖れはとても大きかったのかもしれないなと思います。
父が脳腫瘍と共に生きることで、どんな自分でも愛されると心から信じ感じられたのだとしたら、どれだけ父の心は満たされただろうと思います。
だから穏やかで幸せそうにみえたのだろうなと思います。
死を受け入れるまでの5段階
人が死を受け入れていくにはプロセスがあり、否認、怒り、取引、抑うつ、受容という5段階をたどるといわれています。
死を宣告された人や、その家族や親しい間柄の人は、はじめはその事実を受け入れられず疑います(否認)。
それから、「なぜ自分が」「どうしたあの人が」と腹を立てます(怒り)。死ぬことの怖れから逃げようと何かにすがるったり、願掛けのようなことをして抗います(取引)。
そして、何をしてもどうにもならない死に嘆き、絶望します(抑うつ)。
このようなプロセスを行ったり来たりしながら、やがて、避けられない死を受け入れていきます(受容)。
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あなたが、欲しいものを見つけられますように。
あなたが、ありのままで愛されていると感じられますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

