こんにちは、
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
先日、私の誕生日がありました。
それで小学生の娘が、「ママ何が欲しい?」と聞いてくれました。
私の誕生日を祝うのに、お年玉でプレゼントを用意してくれるというのです。
だから娘に、「ママ、300円のお店で売っているピアスが欲しい」とお願いしました。
娘が買いやすいように、お店も金額も指定したのです。
私は自分が欲しいものを買ってもらうより、相手が選んでくれたものを貰った方が嬉しいので、夫と娘と二人で買い物に行ってもらいました。
そして誕生日に、娘は2種類のピアスをくれました。
私が、「300円のお店で」とお願いしたのには、娘に、自分の欲しいものにお年玉を使って欲しいという思いがあったからです。
予算的に、00円が妥当だと思ったからでした。
だから2つも買うなんて想定外で、お金使わせすぎちゃったーと思ったのです。
思わず、「2つも買ってくれたの?」と言ってしまいました。
1つでよかったのにという空気感で。
娘の表情が一瞬曇りました。
私は、すぐにやばい、やってしまった、傷つけたかもと思い、「2つもよかったの?うれしい!」「すごいかわいい。こういうの欲しかったの!」と、テンションをあげて言い直しました。
そうすると娘は、「前にママがこういうのが欲しいって言っていたから、どっちも買ったんだよ。つけてみて」と、目を輝かせて明るく言いました。
私は、せっかくプレゼントを買ってくれた娘が、笑顔になってほっとしました。
私は介護士なので、仕事上アクセサリーをつけることができません。
最近は自粛で出掛けることもほとんどないので、休日にピアスをつける習慣がなくなっていました。
娘は、自分のプレゼントが本当に喜ばれているのかを確かめるように、私の仕事が休みの前の晩に「ママ明日買い物行く?ピアスつける?」と聞いてきました。
私は、もう同じ失敗はしないと決めて、翌日ピアスをつけて、スーパーに買い物に出掛けました。
ピアスをしているのを見つけると、娘は「つけたんだね、かわいいね」と満足そうに言いました。
私は、「これママの耳にちょうどいいみたい、ほらキラキラがちょうどいい」と言って耳を見せました。
私は、つい娘にお金を使わせるのはかわいそうと思ってしまいます。
娘にというより、多分、世の中のどの子たちにも同じように思うのですが、大人たちは、君たちを喜ばせるためにお年玉をあげたのだから、君たちはまだ稼げないのだから、全部自分が欲しいものに使いなよと思うのです。
でもこの考え方、ちょっと独り善がりなのですよね。
私が、両親や義母に何かをプレゼントした時に、「こんな高いものよかったのに」と言われたり、「もったいない」と大事にされすぎて、使ってもらえなかったりしたことが何度もありました。
悪意がないとわかっていても、優しさからだとわかっていても、その度に、役に立たない自分を感じたり、喜ばせたかった気持ちにケチが付いたようで、さみしいと感じたりしました。
だから相手の思いを受け取ろうとしないことが、どれほど相手をがっかりさせたり、傷つけたり、自信ややる気を殺いでしまうか知っていました。
私は、いつも愛そうとするとき、自然と与えることばかりに意識がいってしまいます。
特に、子どもや年老いた親には、私が愛してあげる側だと思ってしまいがちで、どうしてあげたら、何をあげたら喜ぶだろうとばかり考えてしまうのですね。
愛したい気持ちは素晴らしいものだけれど、見方を変えると、傲慢と言えるかもしれませんね。
だって、「あなたには、愛する力がないでしょう」と言っているようなものですもの。
娘に、「お年玉がもったいないから、プレゼントはいらないよ」と言ったとします。
そうしたら娘は、きっと怒って拗ねたと思うのです。
「どうせ私のプレゼントは、大したもんじゃないよ」「どうせ私は、ママを喜ばせてあげることはできないよ」と。
傷ついて、愛することに自信を無くしたかもしれません。
私は、自分がされてさみしい思いをした経験をしているのに、もう少しで、娘の行為を台無しにしてしまうところでした。
次の休日にも、その次の休日にも、娘に貰ったピアスをつけようと思っています。
愛は受け取って完成する
私たちは、大切な人には与えたいと思う一方で、受け取ることは少し苦手だったりします。
でも、相手にとっては「喜んでもらえた」という経験そのものが、愛する喜びや自信につながります。
愛は与えることだけではなく、素直に受け取ることで、お互いの心を満たしてくれるのです。
愛は、受け取って完成するのです。
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あなたの愛が、相手に届きますように。
あなたの愛が、相手に受け止めてもらえますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

