こんにちは、
カウンセリングサービスのなかやしのぶです。
私の心理学の先生はよく「あなたは誰かの喜びなのですよ」と言います。
そして「誰かの喜びになりなさい」とも言います。
それはとても簡単なことで、コンビニの店員さんにちょっとした声を掛けること、親やパートナーに感謝を伝えることと例え話しをしてくれます。
とにかく、やりやすい人からやってみなさいと言います。
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私は心理学の先生に出会う前から、身近な人や顔見知りの人によく声を掛けるタイプでした。
お店でも職場でも「ありがとう」はよく言う方だと思います。
夫にも昔から、よく「どこに行っても友達を作ってくる」「よく話しかけるよね」と言われます。
私はそういう行動が、相手とのいい関係を作るということは実体験でよく知っていました。
でも自分が誰かの喜びであるという壮大な理解は少しもありませんでした。
わたしの行動が「誰かを喜ばせる」という理解はあっても、「自分の存在が誰かの喜び」という発想は全くありませんでした。
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私は介護士をしていますが、以前の働いていた老人ホームでの話しです。
自分の働いていたユニットに、別のユニットのおじいさんやおばあさんが、散歩にやってきました。
散歩することがリハビリで、老人の機能低下を予防するのには大事なことなのです。
だから、散歩にくるおじいさんやおばあさんとは、自然と顔見知りになります。
私はもともと声を掛けるタイプですから、挨拶も必ずしますし、今日の調子がどうだとか、身に着けているものがどうだとか、散歩頑張ってだとか、何かしら話し掛けていました。
仕事柄、そうすることがおじいさんやおばあさんの励みになるということはよくわかっています。
軽やかな会話のもたらす優しく温かい空気は、他の入居者や職員の気分も明るくするとわかっていました。
みんなが気軽に会話ができる環境というのはいいものです。
そのうち散歩にくるおじいさんと、特に仲良くなりました。
「散歩疲れるんだよ」「やりたくねぇんだ」と漏らすことがあったので、「明日も私がいるから散歩おいでよ」「私もおじいさんとおしゃべりできると楽しいから来てよ」「私は土日がお休みだから、土日はお散歩お休みにしたらいいよ」と私は冗談で言ったつもりでしたが、おじいさんはその約束がとても嬉しかったようで、ノートに私と約束した予定を書き込んでくれました。
そして約束したからと、私が出勤の日には必ず散歩に来て、おしゃべりをしていきました。
私は、おじいさんのお気に入りとして、有名人になりました。
おじいさんのユニットの職員たちからは、「あなたのおかげでおじいさんは生活リハビリすごく意欲的になったのよ」「最近立ち上がりがすごくよくなったの」などと声を掛けてもらうようになりました。
おじいさんの入浴やトイレの時間も調整してくれ、私とおじいさんが過ごせる時間も作ってくれたりもしました。
時々私の休憩時間には、花を見に外に出たり、お茶を飲んだりもしました。
ほんの数十分一緒に過ごすだけで、こんなにも喜んでもらえるのだと嬉しい気持ちになったのは私の方でした。
おじいさんは私が休みの長い連休中に亡くなりました。
急に具合が悪くなり、救急搬送され病院で亡くなったのです。
休み明け、出勤したところに、おじいさんのユニットの職員さんが、おじいさんのことを知らせにきてくれました。
そして、火葬される日まで、古く小さなセレモニーホールいると教えてもらい、仲の良い職員と二人でお別れに行きました。
私は、あんなに寂しい祭壇を見たことがありません。
むき出しの、組み立て式の安っぽい横長の机の上に、棺と写真が置かれただけでした。
花もなく、お線香だけが置いてある部屋に置かれたおじいさんの棺には、老人ホームから送られた色紙と私がおじいさんの誕生日に送った色紙だけが入っていました。
そして、コンビニで売っているアンパンが、棺の上に1つのせられていました。
おじいさんは、老人ホームに入って、はじめて堅気の世界を知ったというほど、やんちゃな人生を送った人で、「小さなころに養子に出されたから、ぐれちゃったんだよな」と、よく笑いながら語っていました。
何度も結婚したそうですが、家庭というものを持っていませんでした。
手を合わせに来るのは老人ホームの職員たちがほとんどで、それもほんの数人でした。
私は、おじいさんに出会えてよかったと心から思いました。
花のない質素な祭壇は、おじいさんの人生を物語っているようだったけれど、だからこそ老人ホームで過ごした数年が、おじいさんにとってどれほど、温かく優しいものだっただろうと思わせました。
おじいさんが亡くなったことは、とても悲しかったですが、一緒に過ごした時間は、いつも笑いがあって楽しかった。
おじいさんの笑顔は、私を幸せな気持ちにしてくれていました。
そんな楽しさや幸せを、分かち合えたことに、心から感謝の気持ちが湧きました。
おじいさんの人生の最期で、喜びがあったこと、私が喜びになれたことを、とても嬉しく思いました。
おじいさんはいなくなってしまったけれど、私の中には「おじいさんがいつも見守ってくれている。応援してくれている。だから大丈夫」「私は誰かの喜びになれる」という自信として残りました。
それは、おじいさんからの最高のギフトだと思っています。
誰かの喜びという意識
自分が誰かを喜ばせていると思えることは、自分が自分の存在を受け入れられているということです。
「自分には人を喜ばせるほどの価値がある」と実感できると、心は自信を手に入れることができます。
人を喜ばせることは、人を愛することと等しいです。
でも、すごいことをしないといけないわけではなく、微笑みかける、返事や挨拶をする、そんな当たり前のささやかなことでいいのです。
相手にいい気分を、安心を与えている、喜びになっていると意識してみることが大事なのです。
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あなたが、人と喜びを分かち合えますように。
あなたが、誰かの喜びだと感じられますように。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

